雑記

逃げることをやめる Part1

さて、今回はタイトルにあるように、
「逃げる」ことについて書いていきたいと思います。

僕は、これまでの36年間の人生において、逃げることばかりの人生でした。
このブログを拝見されている方も、ひょっとしたら、今逃げている真っ最中の方も
いるかもしれません。

でも、そんな自分を恥じないでください。

例え今は逃げていたとしても、必ずいつか道は開けます。
この僕が言うから、間違いありません(笑)

では、どうして逃げていたばかりの僕が、
こうして逃げることを辞めれるようになったかを、
この記事で、順を追ってまとめていきたいと思います。

Part1では、学生時代だけを中心に書いていますので、
興味があれば読んでくださいませ( *´艸`)

【幼少時代~小学低学年時代】
幼少時代は、自分で言うのも何ですが、僕はかなり可愛い顔をしていました(^^♪
まつ毛が生まれつきカールしていて長かったので、「キューピー人形」みたいで
可愛いと、周りからは言われて過ごしていました。

この頃は、まだ特に逃げるようなことはありませんでしたが、
この周囲からチヤホヤされていたことが、後の人生には多少なりとも、
影響を与えていたと、今では思っています(笑)

【小学高学年時代~中学1年】
小学高学年からは、僕は野球に没頭し始めました。
学校では級長で人気者、野球クラブチームではキャプテンをやる男になり、
まさに自分の親からしたら、頼もしく育って見えたのではないかと思います。

まだまだこの頃も、逃げる要素はどこにも無く、
まさに順風満帆な人生を、歩み始めていました。

ただ、この中学1年までというところがポイントです。
中学2年以降から、僕の人生は少しづつ歯車が噛み合わなくなっていきました。

【中学2年】
中学2年において、僕の最初の人生の挫折が到来しました。
それは、親が一人遠方で離れた祖母と暮らすために、持ち家を購入し、
学校を転校するところから始まりました。

中学生といえば、思春期真っ盛りの時代です。
少しづつ、身体も心も大人へと成長をしていきます。

そんな大事な時期に、転校という形になりました。

これまで順風満帆な学校生活を歩んでいた僕の中では、
「転校しても余裕っしょ!」ぐらいなつもりでいました。

そして迎えた転校初日。

新しい中学校に出校した僕に、衝撃的な光景が飛び込んできました。

正門をくぐってすぐ、奥の方で何やらカラフルな人影が見えました。

そう、衝撃的な光景とは、俗にいうヤンキーという生徒が、
なんと20人近くも学校にいたのです。

前の学校では、不良という生徒もいなく、生まれも育ちも愛知の名古屋市
というエリアから、僕は、愛知の田舎の学校に転校をしたのです。

そこに飛び込んできた、このヤンキーの人数に、金髪・赤色・緑色、、、

まさに「絶句」ということはこのことでした(^^♪

そして、転校初日に先生から紹介された僕は、中学2年の時期という珍しさもあり、
初めての出校から数日間、皆から色々と話しかけられました。

僕は、見た目もそんな舐められるような外見ではなく、
性格も至って普通でしたので、ヤンキーにも絡まれることなく、
普通に会話をしていました。

本来であれば、皆も話しかけてきてくれここから馴染んでいくのが
普通かと思います。

しかし、僕は数日間の出校や皆との会話をしている中で、
どうしてもこの田舎臭い学校が好きになれず、話してくる生徒達も、
当時の僕にはとても田舎臭く感じて心の中で馬鹿にしてしまい、
それ以上、自分から関わることを拒絶してしまいました。

当時の僕は、ダウンタウンの松本人志さんを尊敬していました。
著書「遺書」を愛読していた僕は、松本さんみたいに尖って生きる男に憧れ、
今の俺には、この学校から学ぶことなんかないという心境で過ごしていました。

そして数日経過して、僕もさほど深く盛り上がるような対応をせず、
皆からも話しかけてくることが減ってきて、僕からも話しかけることがないため、
授業の合間の放課や、昼放課、帰り道も一人で帰宅し過ごしていました。

外見上では余裕をかましていた僕でしたが、思春期の僕の心は悲鳴を上がていました。

学校生活が非常につまらないものとなり、学校と家を帰宅するだけの生活が続いた僕は、
没頭できるものは、野球生活のみとなりました。

学校から帰宅し、河原を毎日2時間走り、筋トレを1時間するという生活を、
ひたすら続けていました。

週末は、硬式野球のクラブチームに所属していましたので、
その週末だけが、唯一の楽しみとなっていました。

学校では必要最低限の会話、家ではトレーニングの生活を続けていくうちに、
僕の心は、日に日に変化をしていきました。

今まで、こんな学校生活を過ごしていなかった僕は、
一人でいる時間が、どんどんと苦痛になっていきました。

最初は尖っていた僕も、放課中、一人で何もしていないと
周りから思われるのが嫌で、意味もなくかばんの中身をごそごそして、
何かやっているフリをしたり、最大の苦痛である昼放課も、
一人でいるのが苦痛になってきたため、意味もなく廊下を歩いていました。

そして、楽しみにしていた週末の野球チームでの友達関係も、
中学1年は普通に会話をしていましたが、何を会話したら盛り上がるか
分からなくなってしまい、僕は野球チームでも会話が減ってしまい、
自ら会話をすることがなくなっていきました。

こうして僕は初めて、友達(人間関係)から逃げる
という経験をしました。

大人になった今では、やはり思春期においては、
友達との交流は、とても大切な物だと感じます。

当時の僕にはそれを教えてあげたいですが、
尖っていたので聞く耳を持たないかもしれません(笑)

この中学2年に経験した挫折が、この後の僕の人生においても、
人間関係で足を引っ張っていくことになるのでした。

to be continued… (Part2)